アーティスト・永田康祐さん インタビュー
食をとおして探る、「ネオ自然」と人間の関係 柴田 僕は昨年(2023年)、墨田区で『大衆割烹 代替屋』というプロジェクトをやりました...
記事を読む柴田 僕は昨年(2023年)、墨田区で『大衆割烹 代替屋』というプロジェクトをやりました。日本は明治維新以降、西洋の技術や文物を取り入れてきました。食の分野では、西洋料理を日本の食材でアレンジした洋食を編み出しました。僕がプロジェクトでフォーカスした「下町ハイボール」は、戦後、進駐軍が飲んでいたウイスキーハイボールの代替品として、焼酎ハイボールに「キイロ」という謎のエキスを入れたものです。代替食の一つですが、それが定着して、いまでは下町の人たちのプライドになっている。そういう食の「代替」をどういうふうに捉えてきたかをコンセプトにして、様々な代替食をリサーチしました。最終的に、居酒屋を借り切って代替食のコースをオーディエンスに食べてもらうパフォーマンスをやったんです。
今回は「代替屋」というコンセプトを引き継いで、渋谷エリアでやっています。将来の食料不足に備えて、どうしたらタンパク質を補えるかと議論されています。それをきっかけに昆虫食に注目して、先日、渋谷で昆虫を採取するワークショップ(「City Bug」渋谷昆虫採取試食ワークショップ)をやりました。やってみると、虫の視点で街を見ること自体がすごく面白い。そんな感じでプロジェクトを進めていく中で、「野生」に興味を持つようになりました。
永田さんは『Feasting Wild』という作品で、「野生」に対する興味から、自然と人間の関係をずっと観察されています。それが最終的に料理となってオーディエンスに振る舞われる。ぼくもいただいたのですが、すごく美味しくて、しかも頭も揺るがされる。食じゃないとできない作品体験でした。それは僕が『続・代替屋』でやろうとしていることにも通じます。そこで、永田さんがなぜ「食」に向かったのかをうかがいたいと思います。
永田 略歴を説明すると、僕は美大で建築設計を勉強しました。もともとは家具とかインテリアデザインに関心がありました。両親が美大進学に難色を示していたので、建築だったら説得できるかな、と思って建築学科を選びました。でも、入学してみたら大規模公共施設とか都市計画とかをやんないといけない。大規模な設計をやるときには、そこで人間がどう動くかをモデル化して考えなきゃいけなくて。都市計画では、「市民」っていうワードが頻出するんですけど、なんか政治家みたいな仕事をするところに来ちゃったなと思いました。「市民」として想定されているのは、そこに住民票があり、納税していて、模範的に振る舞う、規律化かつ規格化された人間たちなわけなんですけど、そういう為政者的な目線にも馴染めなかった。
もっと造形のことだけ考えていたいなあと思って、修士課程では構造の研究を選びました。構造設計なら力学のことだけ考えればいいから、造形的にピュアなんじゃないかと思ったんです。修了後も、総合大学の研究員になって27歳くらいまで建築の仕事をしていました。
柴田 そこからどうして美術の世界に入ったのですか。
永田 大学院生の頃から彫刻系のアーティストが手掛ける大規模なインスタレーションとか、ブティックのインテリアとかの構造設計や生産管理の仕事をやっていたんですね。それで面白そうだなと思って、考え方はさておき、技術的には自分でもやれふそうだからやってみよう、ということで始めたのがきっかけでした。はじめの頃は屋外彫刻のコンペに出したりとか。2013年と2015年にUBEビエンナーレで野外彫刻を大学院の友人といっしょに作ったりしていました。
柴田 僕が初めて見た永田さんの作品は、Photoshopを使った写真作品でした。
永田 大学院修了後に総合大学の工学系の非常勤研究員みたいなポストで働いていたんですが、そこで行われていたのが、コンピューターを使った施工補助の研究でした。ベテランの職人さんが減っていく中で、図面が読めない人でも仕事ができるようにVRやARを使ってサポートする、みたいな感じです。もともとデザインの方法として、人間とテクノロジーがどう関わり合うかが僕の関心領域だったんですが、施工の研究を産学協同でやっていて思ったのは、テクノロジーで人間をコントロールする需要のほうがずっと多いということ。研究者としてのキャリアパスにあまり魅力を感じられなくなってきたのと、研究室の研究自体に疑問を感じ始めたのもあり、ほかのアプローチを考えたいと思って、作品制作により傾倒していきました。写真を選んだのは、仕事を辞めて研究室も工房もなくなった時に、自宅のラップトップコンピューターだけでやれるのが写真だったからです。
柴田 「野良になる」展(十和田市現代美術館、2024年)の作品『鮭になる』では養殖の問題を扱われていますが、自然に人間が介入することを疑問視している部分は、建築をやっていたころと繋がっているんですね。そこから、どういう経緯で食を扱う作品に繋がったのですか。
永田 2019年にシンガポールでのリサーチをベースに制作した『Translation Zone』という作品が最初です。文化の正統性、正しい文化と不純な、偽物の文化みたいな対立について考えたいと思って、はじめは言語の問題から、翻訳というテーマで考えていました。2017年だったか2018年にたまたまシンガポールに行く機会があって、そこで言語と食文化が交わりました。シンガポール料理は、マレーシアやインド、中国などの料理とのミクスチャーで生まれているのですが、シンガポール英語も中国語文法とかマレー語の語彙が多く組み込まれているんですね。そういうこともあって、シンガポール料理なんてものはないとか、シングリッシュはブロークンイングリッシュだとか、そんなことを言われることがあるわけです。でも、そういう混交こそが、シンガポール料理の固有性でもある。混ざり合う過程が文化創造のモーメントであって、「純粋な文化」は混交の中の部分的な偏りなのではないか。そんなことを考えて作っていました。この作品の制作を通じて、食から考えられることってたくさんあるし、さまざまな政治的社会的トピックを身近なものとしてリアリティを持って扱えるなと思って、その後も継続的に食について考えるようになりました。
その後、フランス料理の歴史についての文献調査をもとにした『Purée』という映像作品(2020年)を作ったのですが、そこで扱っていたテーマが「噛むこと」だったんですね。映像を作りながら、「見るだけじゃなくて、実際に体験してほしいな」と思うようになって。同じリサーチに基づいた『Eating Body』(2021年)というポップアップレストラン形式の作品を制作しました。『Feasting Wild』に繋がるスタイルを初めて実践したのがその時です。
柴田 料理をつくって他者に食べてもらうことを作品化して、あらためて思うことはありますか。
永田 食べる行為が危険だと意識されない方がいいと最初に思いました。アーティストがやってるフードイベントって、ちょっと怖いじゃないですか(笑)。その恐怖を求めてくるオーディエンスがいるけど、そういう共犯関係は結びたくない。リラックスしてもらうために空間の設計も普通のレストランから大きく変えようとは思わなかった。昆虫食のメニューをやった時も、コースの中で昆虫食がいちばん美味しい料理になるように気をつけていました。
柴田 レストランのような安心感を満たしたうえで、違う何かを見せられるという可能性は感じていますか。
永田 期待されている答えとは違うと思うんですけど、レストランと僕がやっていることのいちばん大きな違いは、収益性と継続可能性の有無だと思います。レストランは収益性を確保したうえでやれることを探していくから、ゲストを意識し続けなきゃいけない。ゲストとの関係性のなかでレストランは存続している。いっぽう、僕がやっていることは美術館の制作費や助成金がベースになっている。極論するとゲストが来なくても成り立つんです。レストラン、特に現代料理を扱っているレストランは、文化とか土地とかも表現として料理を提供していますが、ゲスト全員がそれを理解しているわけではない。高い金額を払うことのできる高所得者層のゲストが要求するラグジュリアスな経験も提供しないと商業的に成功できないという二重性をガストロノミーは抱えているんです。だから、見た目の美しさや美味しさを度外視してまで、現代美術のような制度批判とか、ゲストに自己批判を促すことはやりづらい。レストランでは顕在化させづらいことができないことを、やれたらいいなと思っているんです。例えば、季節性食材のブランド化とか、自然を無批判に価値化する態度とか、価値とされているものに対する批判的な介入は(やられていないわけではないですが)美術の制度内で実践するほうがやりやすい。オーディエンスも、ある種の居心地の悪さに対する耐性や覚悟を持って来場してくれますしね。
柴田 最近は食物の旬がすごく感じづらくなっています。そこで『続・代替屋』プロジェクトの一環として、渋谷で雑草を採取してそれを郷土野菜として育てるワークショップ(ワークショップ「渋谷雑草栽培入門」)を予定しています。雑草なら都市でも旬を感じ取ることができるからです。永田さんは旬についてどんなふうに考えていますか。
永田 旬というのは、その一般的なイメージに反して多分に人工的な概念だと思っています。例えばカボチャの旬は秋とか冬と思われているけれど、夏にたくさん採れるんですよね。瓜だし。だけど、夏のカボチャは全然甘くない。熟成させると糖化して甘くなるし、食材の少ない冬にもちこせるので、秋口に多く出回ります。かつ甘くてホクホクしたカボチャの味わいは、冬に求められる滋養感にも合致する。そういうふうに、旬は人間の様々な事情によってチューニングされています。旬はたしかに魅力的な概念だし、自然について考えるための重要な手掛かりであるんですが、旬を単に自然の恵みみたいなものとして捉えてしまうと、食をめぐる様々な社会的な要因を自然化し、それをとりまくシステムに対する批判的な視点を見失うことにもなりうると思います。
柴田 品種改良や遺伝子組換え、ゲノム編集といった問題とも繋がりがあると思うんです。例えばバングラデシュでは遺伝子組み換えのナスが作られている。害虫に強いので、結果的に農薬の量が減るので、生産者の体に対する害は下げることができる。河川への農薬の流出も軽減されるので、是非を語りにくい感じが僕にはあります。永田さんは料理で三倍体という養殖の鱒も扱われていますね。
永田 そうですね。柴田さんに食べていただいたのは鱒だったんですけど、夏は三倍体牡蠣を提供していました。鱒は秋〜冬に産卵期を迎えるので、イクラとかはおいしいんですけど、身は痩せやすい。同様に真牡蠣も夏に産卵するので、夏の真牡蠣は商品にならないんですね。逆に言うと、その直前が旬になる。三倍体は、染色体の構成を外圧によってコントロールすることで不妊化する技術なのですが、それによって旬をなくし、効率よく成長させて通年流通できるようにする技術です。直接遺伝子をいじるわけではないので、遺伝子組み換えではなく、種なしスイカみたいなものなのですが、やはり養殖業者さんのあいだでも不自然な感じがするという意見もあります。ただ世界的にみると三倍体牡蠣は主流となっているし、鮭・鱒にかんしては国内でもブランドサーモンはほぼ三倍体ですね。同じ技術でも旬に対する考え方が牡蠣と鱒で違うんだな、ということがわかります。
柴田 そうした技術について個人的な考えとかありますか。
永田 三倍体に限らず、品種改良とか、農業や養殖業の大規模集約化に対しては心情的には怖いと思ったり、グロテスクだと感じたりすることはあります。ただ、だからといって全面的に拒否するのは現実的じゃない。多くの人が飢えずに人間的な生活ができている背後には、高度に管理され、効率化された食品生産のシステムがあります。その恩恵を拒否することができるかどうかというのは所得とか、住環境とか、社会的な階級に関わってくる。真っ先に飢えるのは社会的に弱い立場にいる人たちなので。その上で、そうしたシステムが社会的に当たり前になっている状況の不健全さにひとつひとつ向き合う必要があるなと思います。エコロジカルな側面でも、魚介類の養殖は、海洋資源枯渇に対する処方箋としての側面もある。養殖は人間による生命の管理であり、すなわち悪だ、ともなかなかいえない。そこから共生的な関係を考えることもできるはず。もちろん、簡単なことではないんですけど。
柴田 現代の自然は人の介入によって「ネオ自然」になったというか、自然という概念の位相が変わっているような感覚が、永田さんの作品にはあると思います。『野良になる』展で使っていた言葉ですが、「自然にも人為にも還元できない存在」を永田さんは見つめていると思います。野生や自然に対して、どういうことを思って作品を作っているのかを、あらためてお聞きしたいです。
永田 『Feasting Wild』は2020年末ごろから構想していました。コロナ禍でウイルスという人間にとってアンコントローラブルな他者が猛威をふるった時期でもあり、人為の産物たる原子炉が人間のコントロールの外に溢れ出て、それが海洋環境を変えていくんじゃないかという不安が世界規模で巻き起こった時期でした。
僕たちは自然という言葉を使い続け、自然と人為を二項対立で捉えながら思考・行為していているので、思考の枠組みやコミュニケーションツールとして自然というものは確かに存在しているんですけど、現実に自然や人為として扱われているものが、管理の主体としての人間と、受動的な客体としての自然といった近代的な二項対立では到底捉えられない。このギャップをどういうふうに考えられるかというのがスタート地点でした。
「手つかずの自然」を感じ取ってしまう瞬間もあるし、「自然の恵み」としか言いようのない食材や料理に出会う時もある。それをフィクションだと切り捨ててしまうのも違うような気がするけれど、一方で人間の介入が手に負えなくなって環境の一部になったり、自然物のようにみえて実は綿密な人間の管理によって生み出されているものもたくさんある。そういった、人間が手塩にかけて得られる自然の恵みとか、人間のコントロールを超えてしまったアンコントローラブルな人為としての自然。そういう、ひとつの本質に還元できないようなものが、自然のありようなのかなと思っています。自然と人為は、対立する概念として僕たちの世界を構築しているけれど、その分割線が突然変化したり、あるいは人為的なものの中に自然が飛び地的に分散していたりして、視点を変えるたびに両者の関係が切り替わっていくようなものとして、自然と人間の関係を捉えられないかと考えています。
(編集:西岡一正)
[ 永田康祐 プロフィール ]
ながた・こうすけ 1990年愛知県生まれ。自己と他者、自然と文化、身体と環境といった近代的な思考を支える二項対立、またそこに潜む曖昧さに関心をもち、写真や映像、インスタレーションなどを制作している。近年は、食文化におけるナショナル・アイデンティティの形成や、食事作法における身体技法や権力関係、食料生産における動植物の生の管理といった問題についてビデオエッセイやコース料理形式のパフォーマンスを発表している。
高度に都市化された渋谷周辺を舞台に食材や調理法を代替して作る「代替」料理を創作、実食可能な体験型パフォーマンス作品へ